表紙にも使っている先頭車のみ4両並んだ写真です。編成は京都側からMC−T−MC+MC−M−T−MCで、車番は同じく1917−1957−1918+1921−1984−1954−1922です。ポイントは以下の通りです。
1.天満橋−淀屋橋間、開通祝賀列車となった車両(1917〜20)を組み込む
2. テレビカーは2両(1957,1954)組み込む
3.FS347を履いた車両(1957,1984)を組み込み
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両端につく先頭車(1917,1922)です。ダミーカプラー装着です。前照灯は純製パーツが使い物にならないのでエコーの旧国用100W灯に交換。これで京阪独特の大目玉が表現できました。標識灯はフクシマのパーツで、赤、白色灯とも点灯可能なように準備はしてあります。判りにくいのですが標識灯横の方向板掛けはエコーのロストパーツです。床下にはワムのATS車上子をつけました。幌枠は末期の時代設定ですのでグレー塗装です。 |
中間に組み込まれる先頭車(1918,1921)です。KDカプラーを装備しています。動力車ですがこの1918とパンタ付き中間車の1984に装着しています。エアーホース、ジャンパー栓類は当時の1900系の特徴ですので中間に入る2両も手を抜かず再現しました。この工作だけで丸3日かかりました。ヘッドマークはお世話になっているげたでんくらぶのHPカウンター10,000ヒット記念マークですが気づかれました? |
テレビカー(1954,1957)です。ナンバーはマッハの切り抜き文字。ドアレールは0.5mm幅0.2mm厚の洋白製帯板。何れも塗装後磨き出しです。側窓の保護棒は省略しようかと思ったのですが、「これは省略すべきではない」と言う意見を多く頂き0.3mm洋白線で取付けました。当初磨き出しを考えていたのですが塗装の食いつきが予想以上に強く結局銀色の色入れにしました。 |
アンテナは0.3mmと0.4mmの洋白線で組みました。台座は天賞堂の古いパーツの中から「碍子台」と言うホワイトメタルのパーツです。 |
屋根上配管です。現役当時の配管を調べるのに相当苦労しました。中間パンタ車はパンタカギハズシ装置が旧国の様に妻面に垂れ下がっています。ヒューズボックス部分は外径0.4mmの精密パイプと0.3mm線で表現しましたが0.1mmの差では良く見ないと判りません。パンタは私の標準仕様のフクシマ製です。 |
今回初採用のLN−14です。床下機器がほとんど犠牲になっていないのがお判り頂けるかと思います。他車と同じく連結器横の鉛板、床下機器取付台の鉛板への交換と、ウエイトを稼いでいます。このころのLN−14には床板加工用の寸法図が入っておらず現物あわせで床板の加工をしました。台車は先述の2両以外はKD−71利用。ボルスターアンカーは2X3X2のチャンネルを介して車体側に取付けました。 |
動力車床上側です。他車と同じくクロスシートを避ける形で鉛板を貼りつけています。 |